Kajo kashika shakai (Q114603286)

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Book in Japanese. Yonaha, 2022
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Kajo kashika shakai
Book in Japanese. Yonaha, 2022

    Statements

    過剰可視化社会 (Japanese)
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    「見えすぎる」時代をどう生きるか (Japanese)
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    数値化に伴う困難
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    数値化に伴う困難
    p.86 / 第2章 個人編 -- 「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう / ポストコロナにマルクスの『資本論』は甦るか? / 同書は「環境保護」の視点からマルクスの資本主義批判を捉えなおすものですが、マルクスは「数値化に伴う困難」を最初に指摘した思想家としても読むことができます。 / そうした読み方を代表するのは、平成初頭の1993年に出た岩井克人さんの『貨幣論』(現在はちくま学芸文庫)です。 (Japanese)
    與那覇 潤
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    まえがき / 本書の構成 -- 「厄払いのジャム・セッション」 / p.13 / 後半には、そうした観点の下に行われた3名の有識者との対話を収録しています。 / 東畑開人さんは、臨床心理学と精神分析に基づき治療にあたる臨床心理士。 (Japanese)
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    まえがき / 本書の構成 -- 「厄払いのジャム・セッション」 / p.13 / 後半には、そうした観点の下に行われた3名の有識者との対話を収録しています。 / 千葉雅也さんは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの研究を専門とする哲学者。 (Japanese)
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    まえがき / 本書の構成 -- 「厄払いのジャム・セッション」 / p.13 / 後半には、そうした観点の下に行われた3名の有識者との対話を収録しています。 / 磯野真穂さんは、医療人類学を中心に研究する文化人類学者。 (Japanese)
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    2022
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    リワークデイケア
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    p.97 / 第2章 個人編 -- 「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう / 過剰可視社会の克服 (3) タグを外す「逆カミングアウト」の実践を / 私自身、2015-17年に、東畑さんとは異なり「利用者」の立場でリワークデイケアに通いました。 (Japanese)
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    p.110 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 / 僕はむしろ96年に、革新ならば丸山眞男、保守ならば司馬遼太郎といった、優れた物語の語り手が亡くなったことが大きかったと思います。エピソードのつまみ食いではなく、過去から現在へつながる「流れ」という不可視のものを描き出せる語り手がいなくなり、個別のデータばかりで「歴史はどこへ消えた?」状態になってしまいました。 (Japanese)
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    p.110 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 / 僕はむしろ96年に、革新ならば丸山眞男、保守ならば司馬遼太郎といった、優れた物語の語り手が亡くなったことが大きかったと思います。エピソードのつまみ食いではなく、過去から現在へつながる「流れ」という不可視のものを描き出せる語り手がいなくなり、個別のデータばかりで「歴史はどこへ消えた?」状態になってしまいました。 (Japanese)
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    p.111 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 / 司馬遼太郎 (96年没) 山本七平 (91年没) の史論に刻まれているのは、まさに「自分の中に過去が生きている」という感覚です。南北朝や江戸時代の出来事を描いても、「実は同じ力学が昭和の戦争や、戦後にも発現していたのではないか?」とする問題意識がつねにあった。 (Japanese)
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    p.106 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 心理学は「平成の勝ち組」で歴史学は「負け組」だった? / 心という目に見えないものについて、僕より上の世代ではある程度社会に共通理解を求めることができました。河合隼雄という大スターがいたのも大きいのですが、世の中的にも目に見えないものへの関心が高かったからだと思います。 (Japanese)
    数値化に伴う困難
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    p.86 / 第2章 個人編 -- 「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう / ポストコロナにマルクスの『資本論』は甦るか? / 同書は「環境保護」の視点からマルクスの資本主義批判を捉えなおすものですが、マルクスは「数値化に伴う困難」を最初に指摘した思想家としても読むことができます。 / そうした読み方を代表するのは、平成初頭の1993年に出た岩井克人さんの『貨幣論』(現在はちくま学芸文庫)です。 (Japanese)
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    p.115 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 治療の「見える化」を突きつめて反転した心理学 / 與那覇 / 面白いのは東畑さんがよく書かれるように、同じく90年代の末から心理学でもクライエントのライフヒストリー(過去の物語)を重視するカウンセリングのブームが退潮し、むしろ認知行動療法が注目を集めてゆきますね。 / 東畑 / 実は認知療法を考案したアーロン・ベックはもともと精神分析に取り組んでいた人で、フロイトの夢分析を「科学的」に実験して検証しようとした人です。その上で実証できなかったところから、精神分析から離れていったんです。やはり、精神分析は主観的な解釈を排除できないから、科学の土俵に乗るのが難しいんですね。 / 彼は心の「深層」といった不可視の領域からは撤退し、訓練すればクライエント自身が知覚可能な心の動き、行動として目に見える部分に働き掛ける認知行動療法への道を切り拓いたわけです。もう一つ重要なのは、ベックが治療結果をしっかり目に見えるものとして測定しようとしたことです。可視化することでカウンセリングというものの説明責任を果たそうとしたんですね。 / 臨床心理学はこの20年、可視化の道を歩んできたといえます。これは良いことだと思いますが、一方でそれと同時に、臨床心理学は文化論をほとんどしなくなりましたね。 (Japanese)
    認知療法
    認知療法を考案したアーロン・ベック
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    p.115 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 治療の「見える化」を突きつめて反転した心理学 / 與那覇 / 面白いのは東畑さんがよく書かれるように、同じく90年代の末から心理学でもクライエントのライフヒストリー(過去の物語)を重視するカウンセリングのブームが退潮し、むしろ認知行動療法が注目を集めてゆきますね。 / 東畑 / 実は認知療法を考案したアーロン・ベックはもともと精神分析に取り組んでいた人で、フロイトの夢分析を「科学的」に実験して検証しようとした人です。その上で実証できなかったところから、精神分析から離れていったんです。やはり、精神分析は主観的な解釈を排除できないから、科学の土俵に乗るのが難しいんですね。 / 彼は心の「深層」といった不可視の領域からは撤退し、訓練すればクライエント自身が知覚可能な心の動き、行動として目に見える部分に働き掛ける認知行動療法への道を切り拓いたわけです。もう一つ重要なのは、ベックが治療結果をしっかり目に見えるものとして測定しようとしたことです。可視化することでカウンセリングというものの説明責任を果たそうとしたんですね。 / 臨床心理学はこの20年、可視化の道を歩んできたといえます。これは良いことだと思いますが、一方でそれと同時に、臨床心理学は文化論をほとんどしなくなりましたね。 (Japanese)
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    p.119 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / 個人化の隘路からどう抜け出すか / 東畑 / おそらく「一見、誰もが肯定できる言説」というものが、じつはあまり健康に良くない副作用も孕んでいることに僕たちメンタルヘルスの専門家は気づきやすいんだと思います。臨床って具体的な相手がいる営みですから。クライエントと向き合っていると、それぞれに経緯もありますし、馴染んできた支援法もあります。歴史があるんですね。他所(よそ)から「最先端の治療法に切り替えよう」と言われても、そう簡単にはいかないんです。 / ここが体の治療と心の治療の差異だと思います。新しいことをラディカルに導入することで、もちろん、うまくいくこともあるのですが、かえって症状を悪化させてしまうこともあります。 (Japanese)
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    p.123 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / カミングアウトの流行は「病名の民主化」 / 東畑 / ... 僕は段階があるように思います。名付けがたい個人的な体験を、オリジナルな物語として語ることってかなり難しいんですよね。 / ですから、その前段階として、何らかのカテゴリーに自分を見出し、「同じ体験をしている人が他にもいる」という仲間を得ることは非常に重要です。自助グループや当時社会で同じ生きづらさを体験している人と出会うことで、初めて自分のことを「異常者ではなかった」と確認でき、そして言葉を紡ぎだすことが可能になったという話は枚挙にいとまがありません。哲学者の國分功一郎さんはこれを「類似的他者」という言葉で表現していますね。/ 大事なのは、そのような仲間との関係によって安全が確保された上で、それでも「この人たちとも違う、自分だけの物語がある」と本人が気づくときもあることせうね。つまり、一度共同性が体験され、その次に個別化がある。 (Japanese)
    哲学者の國分功一郎さん
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    p.123 / 第3章 「見える化」された心と消えない孤独 -- 心理学との対話 / 東畑開人 x 與那覇潤 / カミングアウトの流行は「病名の民主化」 / 東畑 / ... 僕は段階があるように思います。名付けがたい個人的な体験を、オリジナルな物語として語ることってかなり難しいんですよね。 / ですから、その前段階として、何らかのカテゴリーに自分を見出し、「同じ体験をしている人が他にもいる」という仲間を得ることは非常に重要です。自助グループや当時社会で同じ生きづらさを体験している人と出会うことで、初めて自分のことを「異常者ではなかった」と確認でき、そして言葉を紡ぎだすことが可能になったという話は枚挙にいとまがありません。哲学者の國分功一郎さんはこれを「類似的他者」という言葉で表現していますね。/ 大事なのは、そのような仲間との関係によって安全が確保された上で、それでも「この人たちとも違う、自分だけの物語がある」と本人が気づくときもあることせうね。つまり、一度共同性が体験され、その次に個別化がある。 (Japanese)
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    p.210 / 第5章 健康な「不可視の信頼」を取り戻すために -- 人類学との対話 / 磯野真穂 x 與那覇潤 / 九鬼周造と和辻哲郎に学ぶ「偶然」への対処 / 医療人類学では客観的な病気の感染源を扱う「病因論」と、主観的な不幸を説明可能にする「災因論」とを区別することがあります。近代医学は全社に特化することで発展したので、原理的に後者を扱い得ないんですね。 (Japanese)
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    まえがき / コロナ禍の隠れた犯人としての「過剰可視化」社会 / p.5 / しかし「なにが政界なのかわからない」状態を、むしろ安易な答えに飛びつかないことによって、自身と違う考えの持ち主とも相互に尊重しあいながら乗り切るネガティブ(消極的)な能力は、視覚化には向かないのです(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日選書参照)。 (Japanese)
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    第1章 社会編 -- 日本を壊した2010年代の「視覚偏重」 / ベンヤミンが描いた「ルッキズムの近代詩」 / p.25 / 人間の五感のバランスは、時代に応じて変わります。 / そう書くと突飛な主張に聞こえるかもしれませんが、これはメディア社会学の基本的な視点です。この分野を切り開く上で大きな役割を担ったマーシャル・マクルーハンが、新しいメディアの発展は「人間が拡張されてゆくこと」に近しいと述べた比喩は、広く知られています(『メディア論』原著1964年、邦訳はみすず書房)。 (Japanese)

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